石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


長岡半太郎記念館  『研究用別邸を復元』
原文

京急長沢駅から海岸へ。若山牧水夫婦歌碑の近くに長岡半太郎記念館がある。この施設は昭和五十六年九月、京浜急行電鉄から横須賀市へ寄贈されたもの。世界的物理学者の長岡半太郎が生前、 風光明婿(び)な、ここ長沢をこよなく愛され、学問研究や憩いの場として長い間、住まわれた別邸を復元したものだ。長岡半太郎博士。慶応元年(一八六五)今の長崎県大村市に生まれ、東京帝国大学で物理学を専攻、卒業と同時に助教授。一年後に早くも「磁気ひずみ」という当時、未開拓の分野で業績をあげ、ドイツ留学後、教授となつた。その間、財団法人理化学研究所(理研)や東北帝国大学理学部などの創設にも尽力した。明治三十六年(一九〇三)には原子核の存在を予見、ラザフォード・ボーアの太陽系原子模型の先駆けをなした、という。その他、広い分野での研究や後輩の指導に当たった。 昭和六年、大阪帝国大学の創設とともに初代総長となり、十二年には第一回の文化勲章を受けた。十四年には帝国学士院長に就任、日本学術振興会理事長も兼ね、物理学界はもちろん自然科学の重鎮として、指導的な役割を果した。別荘は長沢七百四十二番地。長沢橋から堂前川に治つて海岸側のー帯。明治四十三年から昭和二十五年に亡くなられるまで時折、使われた。別荘にみえる時は、 東京湾汽船で東京の霊岸島から船で津久井の蒸気場に着いた。昭和五年以後は浦賀駅まで電車、駅から岡タクシーで、という道のり。 屋敷内の木々は伸び放題で、鳥小屋や温室が村人たちの話題になった、とか。博士は海岸を散歩したり、海水パンツ姿で泳いだり、時には武山や三浦富士まで遠出された。三崎での釣りのエビソードは、北浦小学校の『創立六十年誌したうら」に詳しい。 記念館には学習室と展示コーナーが設けられている。利用や見学の問い合わせは横須賀市北下浦行政センターへ。
原本記載写真
明治末から大正、昭和にかけて物理学者、長岡半太郎博士の別荘が横須賀市長沢にあった。風光明婿(び)なこの辺りをこよなく愛された。写真は、その一角に建つ長岡半太郎記念館。学習に集会に利用者が多い。

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