石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


いはて新聞  @  法律相談や相撲も
原文

戦前、士官候補生を乗せた練習艦隊が、しばしば横須賀から遠洋航海に出かけた。昭和七年の場合、軍艦「浅間」と「盤手(いわて)」が三月一日に出港。目指すは南太平洋のオーストラリアとニージーランド。順路は高雄、シンガポール、バタビア、メルボルン、シドニー、ウェリントン、 トラック、サイパンで七月十四日に帰港した。百三十六日間、一万六千海里(約三万`)の航海だった。その間「盤手」では日刊「いはて新聞」を発行。第一号は出港の日、最終号は百三十七号で帰港の翌日。謄写印刷でゲラ紙一枚をニつ折りしたもの。 第一号の表は「遠航出発二際シ」と題する訓辞で、「・・・遠洋航海ノ門出二当り我々ハココ二確固タル信念ノ樹立ヲ必要トスルヤ切ナリ。八百(ヤオ)潮路ヲ枕ノ夢ノ間モ大和男子ノ心、忘ルナ」と結んでいる。
裏のぺージは、ガラッと変わる。「私の君」と「ご機嫌よう」の大文字、帽子を振るセーラー服と、別れを告げる着物姿の女性の絵、それに、次のような詩が載っている。
「誰が泣きましょ
私の君は
島の 日本の
水兵さん ドントネ
別れ お別れ
私も君も
大和心の
一すじに ドントネ
誰が泣きましょ
出艦(ぶね)じゃないか
今日はヒラヒラ
軍艦旗 ドントネ」
 「ガラ句多」という題で、英語の曜日の記憶法も。
日本ノ武土ハ乃木サンデー
月桂冠ヲ望マンデー
火二モ飛込ムチューズデー
水田二苗ヲウェンズデー
木刀、腰二、サースデー
金髪、手料理フライデー
土産モアゲズ御悪サタデー
ほかに紙面は、法律相談や内外ニュース、相撲などが盛り沢山。「ベーブルースがホームランをニ本、ヤンキースが勝つ」という記事には、目を奪われる。
原本記載写真
士官候補生を乗せた軍艦「盤手(いはて)」では遠洋航海中、日刊「いはて新聞」を発行した。軍律厳しい半面、人間味あふれる内容が楽しい。写真は、日刊「いはて新聞」(昭和7.3.19):横須賀市三春町3ノ8 藤井慶治さん提供

いはて新聞  A  『水兵主役の赤道祭』
原文

士官候補生を乗せた練習艦隊「盤手(いわて)」の艦上で、赤道祭が行われた。昭和七年四月五日、シンガボール出港後である。艦内発行の日刊「いはて新聞」は赤道祭を大きく報道した。祭神、つまり赤道神、火ノ神、風ノ神、木ノ神や赤鬼、青鬼、姉姫、妹姫、神主らの主役は下士官や水兵が演じた。 さて祭神降下、総員出迎えの配置につくと神主が「赤道通過祭文」を。 「カケマクモ、アヤ二畏(力シコ)キ、赤道二オハヌ神(オオガミ)ノウチヅノヒロマイニ、畏ミ畏ミ申サク。コノタピ我ガ大日本(オオヤマト)ノ戦習艦(イクサナライブネ)盤手八重(ヤエ)ノ潮 路、遙力二南半球二入ル。願ヒオバ大神、八百萬(ヤオヨロズ)ノ神夕チ…(中路)…任務ヲハタナシ豊秋津洲(トヨアキツシマ)二、スコヤカ二帰ラセ賜ヒト、種々(クサグサ)ノお供物(ミソスモノ)ヲ供ヘテ申ス事ノ由ヲ聞コシメセト恐(カシコ)ミ、恐ミ、申ス」 次いで赤道神から「大神赤道通過御許シノ詞(コトバ)」が。「ワレハ赤道ノ神ナリ爾(ナンジ)ラノ忠愛ヲ愛シ其(ソ)ノ請願ヲ納メ、赤道ノ鍵ヲ授ク。因(ヨ)ッテ南半球ノ門戸ヲ開キ、恙(ツツガ) ナク通過セヨ。夢、疑ウ忽(ナ力)レ」 無事に式典が終わると、演芸会が始まった。出し物の人気投票の結果は、次の通りだった。@インデアンワーダンス A追分 B彦根騒動 C安来節 D八木節。次点は梅若長次、飛び入りの物マネ、 イハテ・ジャズバンドグループ。 紙面に「重量番付」も。勧進元は医務科で、横綱は東に九十`、西にハ十六`のニ人、上位十二人の平均体重は七十八`である。 「いはて新聞」はー号も欠かさず、記念写真集とともに、市内三春町三丁目の藤井慶治さんが保存されている。
原本記載写真
水兵が扮した祭神が、艦長に赤道通過の許可を与える。赤道祭は、海の男たちの最大の楽しみ。演芸出演者の人気投票の 1 位はインデアンワーダンス、 2位は追分、だつた。写真は、艦長自らがモチをついているところ

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