石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


須軽谷どんど焼  『地域ぐるみの協力』
原文

横須賀駅から三浦海岸駅行きのバスで「一騎塚」を通過、やがて「下(しも)の里」。その近くの農地でー月五日の朝、須軽谷(すがるや)の「どんど焼」が行われた。海岸ならともかく陸地の奥では今どき珍しい、といわれる。里の人たちが持ち寄る門松は、束ねられて高さ約五b。その先端から四方へ張りめぐらされた手作りの万国旗が美しい。前の晩七、八人の子供たちが、須軽谷三百三十一番地の広川武雄さんのお宅に泊まり込む。 当日は五時起き。ごぼうじめの三又(さんまた)で、地面をたたきながら「オンピヤクゾ、オキマッセ」と里中をふれ回る。長い間、宿を務める広川さん宅の近くには、庚申塔と道祖神を祭った玉石がいくつか。これを守るわら小屋は、毎年十二月に、親方と呼ばれる中学生が中心となって作り変えられる。当日、玉石は運び出され「どんど焼」の中へ。焼き終わると、熱し切った玉石にお神酒を飲ませ、その燠(おき)でモチを焼いて食べる。また、焦げた門松のくいは魔除け、家ごとの軒下に打ち込む。宿のご主人、広川さんにお話をうかがった。 「前の晩、子供たちは私らの人生談義を真剣に聞いてくれます。当日は、地元の消防団や駐在さんもお子さん連れで。農協で有線放送して下さるし、遠くから問い合わせも。昔は、三里(みさと)でそれぞれやっていました。三里ですか、上(かみ)の里、宮の里、下の里の三つの字(あざ)のことです。 この『どんど焼』の場所は、二毛作や野菜作りで忙しい田ですが、子供たちのことだ、正月のことだ、といって、あけて下さった。地域ぐるみの協力がなければ…。その点、須軽谷は素晴らしい所です」  身近な文化財を、次代へ伝えようとする里の人たちの情熱を、広川さんをとおしてひしひしと感じた。
原本記載写真
「どんど焼」 の朝は元気よく、ごぼうじめで地面をたたきながら「オンピヤクゾ、オキマッセ」とふれ回る。これは、須軽谷に育つ子供たちのお務めだ。伝統は確実に受け継がれている。写真は、横須賀市須軽谷3 3 1 広川武雄さん提供

寄稿・補稿欄
皆様からの関連する記事・写真などの寄稿をお待ちいたしております。

参考文献・資料/リンク
横須賀市市立図書館
皆様からの声
ご意見、ご感想 お寄せ頂ければ幸いです。
ご意見・ご感想をお寄せ下さい


ご氏名 ペンネーム ハンドルネームなどは本文中にご記入下さい。 尚、本欄は掲示板ではございませんので即時自動的にページへ
反映される訳ではありませんのでご承知おき下さい。

メール:(携帯メールも可)