石井 昭 著   『ふるさと横須賀』

幻のチンチン電車 『市当局が消極的に』
原文
横須賀市議会は大正十四年(1925)四月十三日に「電車市営の件」を全会一致で可決した。 これに基づいて国へ「市営電気軌道敷設の免許」を申請したが、間に立つ県当局から再検討を指示され、 のちにこの計画は立ち消えになった。 もし実現していれば六十年前に、かつての横浜市のように横須賀市内でもチンチン電車が登場したのだが・・・。 幻と化した当時の「起業目論見書(きぎょうもくろみしょ)」をひもといてみよう。 総工費は百九十万円で全額、債券を発行して資金を集めるという起債に頼ることにした。 電車は国鉄横須賀駅前から浦賀線は堀之内まで、三崎線は今の衣笠十字路に近い法塔まで。 また両線を結ぶ連絡線を聖徳寺坂に設けよう、というもの。 具体的な路線計画は、次の通り。
起点 横須賀市逸見町横須賀駅前。分岐点=横須賀市若松町平坂下。 浦賀線 併用軌道始点=若松町平坂下、同分岐点=若松町元軍港座、同会舎点=安浦町一丁目取付、 同終点及び専用軌道始点=安浦町三丁目七三番地、同終点=公郷町字(あざ)堀之内砂坂。
三崎線 併用軌道始点=若松町平坂下、同終点及び専用軌道始点=公郷町柏木田遊廓大門前、 同終点=三浦郡衣笠村小矢部法塔。
浦賀三崎連絡線 併用軌道始点=深田町税務署裏、同終点=安浦町二丁目。
大正十四年といえば震災二年後で復旧の最中。県当局からは計画の再検討が指示されたー方、 別に民間から提出された電車敷設計画実についての諮問があった。だが、昭和四年一月の市議会では 「電車市営の件」促進が再び論議された。肝心の横須賀市当局は震災復旧のほかに、水道拡張などの大事業を抱えている ため、消極的にならざるを得なかったようだ。市議会と再三の協議の末、昭和四年一月三十日に数力条の条件を付けて 民間による電車敷設を認めた。これを県当局へ答申すると同時に「電車市営の件」は立ち消えたのである。

原本記載写真
市民が望んでいた「電車市営の件」は横須賀市議会で可決されたが、震災直後だけに計画は幻と化した。 写真は、昭和の初め、安浦町の大通りから聖徳寺坂を写したもの。ここに浦賀・三崎連絡線が走る予定だった

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