石井 昭 著   『ふるさと横須賀』


御幸橋  『今はらんかんだけ』
原文

明治二十二年(1889)の横須賀線が開通以後、明治天皇が横須賀入りする道のりは”停車場”から港町を経て、 今の汐入学院裏のがげっぷちを通り、郵便局わきから旧EMクラブ前へというコースだった。 記録には「幸(みゆき)橋を渡御」とあるが、幸橋は「御幸橋」とも書く。 旧市民会館跡地の角にあたる。 舗装に次ぐ舗装で、橋の部分が盛り上がり、今は橋の実感がわかない。 欄干だけが目にとまる。 「大正四年」とあるので、この年に改修している。 天皇は、三十三年五月に軍艦「千里」の進水式にお臨みになった。 「函簿(ロボ)粛々、汐留及ビ元町通リヲ鎮守府へ行幸アラセタモウ。 御道筋ノ右側二ハ海軍軍楽隊、儀仗兵、要塞砲兵隊、海軍准士官、県高等文官、 陸海軍人家族、横須賀町民。 左側二ハ海軍無銃下士兵、横須賀小学校生徒(中路)、イズレモ列ヲ整エテ奉迎ス」 向山の行在所へは、明治四年にニ泊、六年とハ年にー泊ずつされ、またニ十二年には、ご休憩されている。 ドブ板通りの中ほどから、階段を登ると左右は、ちょっとした切り立ったがけになっているが、当時は低い山が出ていて、 いわば諏訪山の”出鼻” であった。 天皇はその諏訪山、のちの諏訪公園から猿島沖の艦隊訓練をご覧になられた。 今のヨゼフ病院裏のがけ下にある井戸は御膳水井戸、または禁廷水といい、 ここの水を行在所まで運んだ、といわれる。
原本記載写真
横須賀市緑が丘の聖ヨゼフ病院裏。がけ下にある井戸が、御膳水井戸、または禁廷水と呼ばれた。 写真は、京急汐入駅近くに残る御幸(みゆき)橋。欄干には「大正4年」とある。 あいつぐ舗装でだいぶ埋まってしまった

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