『ふるさと横須賀』の発刊を祝して
知友石井昭さんは、神奈川師範、法政大学史学科を卒業後、教壇に立ち、昭和五十九年 に市立坂本中学校長に就任して現在に及び、特にお願いして市史の編さん委員も勤めても らっている。 その石井さんが、神奈川新聞紙上に、四年間もの長い間書き続けてきた「続ふるさと横 須賀」が、このたび「ふるさと横須賀」と銘打って出版されることになった。 私も特に求められて序文を書くことにした。それは、新聞紙上に連載中、大変興味を持 って読み続けてきたものであり、執筆者の人柄や識見、さらに、その執筆態度、取材のし 方等に心から共鳴を覚えていたからである。 石井さんが筆を起こしたのは、昭和五十七年十月一日、幕末の「横須賀村」からであり、 擱筆は六十一年九月二十三日、最終回の終戦時における「中学生日記」であった。 この間実に六七三回の紙上連載というー大長篇となつた。今回発刊の上、下二巻にわた る「ふるさと横須賀」では、このうちー二九回分をカットし、五四四回の収録となってい る。内容は、明治、大正、昭和(戦後まで)にわたる横須賀の歴史、市民生活の移り変わり、 また、市内の史跡や文化財などが取り上げられている。この種のものは世の中には沢山あ るが、私が特に共感を覚えることは、単なる歴史的なものの連続というのではなく、その 時々における庶民の生きざまを綴った、いわば庶民生活史とでも言うべき点である。 執筆者自身も、連載の初めの頃は資料に基づいて書いていたが、一五〇回ごろから、「聞 き書き」が中心になったと言う。渡部総局長の「半島余話」の中にも、「続ふるさとーが完 結」と題して特にこのことに触れてある。「続ふるさと横須賀は、歴史のーつの側面である。 それも、庶民の歴史である。特に聞き書きは、貴重な資料となるのであろう」と。 著者自身はまた、どうしても東京湾中心、下町中心、海軍中心になりがちだったと言う。 私は、それは当然のこと、避けて通れぬ横須賀の歴史的宿命がそうさせたのだと思う。 いわば仕方のない、歴史の必然なのである。 四年間の長い間にわたって書き綴られた大長篇は、「20・8・17」の次のような日記で幕 を閉じている。「いつもいかめしい守衛もニヤリとー笑。”御苦労様、しっかりやれよ”、”さ よなら、さよなら”。鎮守府菊花御紋章。挙手するー、二秒。いろいろな事が、電光のやう に頭をかけ廻(まわ)つた」。私自身の終戦時の体験とオーバーラップさせながら、何とも 言えぬ感動をもって読み終つたのであった。 私たちの先輩がひたむきに歩いた長い長い道。私たちはこの横須賀に生きる後輩として その跡をじっくり辿ってみようではないか。広く江湖の愛読を心から期待してやまない。 |