あとがき



                            石井 昭

 




足跡 。人にも、土地にも、そして歴史にも、そのときどきに刻まれています。なかに は、時の移り変わりとともに、消え去ろうとしている足跡も。ペリー上陸、日本初の製鉄 所建設に始まる〃文明開化〃を、わが国に告げた横須賀には今もなお、数多くの〃歴史の 証人〃が息づいています。さかのぼれば幕末、村の戸数はニ百六戸、とか。潮さいと、力 ヤぶきと、夕煙のー寒村の行く手に、激動の明治、大正、昭和がありました。その一つ一 つを、かねがねたどってみたいと思っていました。
「明治から大正、昭和(終戦まで)の三代にかけて、横須賀にまつわるさまざまな話題 を書いてほしい」という、神奈川新聞社横須賀総局からのお話があったのは、昭和五十七 年の夏の終わりころでした。そこでー応、三百五十ほどの項目を選んで、取り組み始めま した。その結果が、同年十月一日から六十一年九月二十七日まで、ちょうど四年間、横須賀 版に連載。原則として週四回、心ならずも、回数は六百七十三回に及びました。
連載が終わると、当時の総局長渡部允さんは、横須賀版の「半島余話」で、こう書かれ ました。「…長期間の連載、内容が市民に身近な話題が多かっただけにファンも多く、六百 七十三回という半端な数字で終了したために、『先生が倒れたのではないか』という問い合 わせもあった。そうではなく、先生は元気そのものである」。
連載の間、あいつぐテーマの設定、資料集め、インタビュー、原稿書き・・・。 ”血の吐く思い”といったら大げさでしょうが、少くとも冷汗をかいたり、時には綱渡りのような心境も、しばしばでした。大向こうを意識することなくー回一回、たんたんとペンを走らせた つもりです。その結果が、今回の出版の運びとなりました。本の名は「ふるさと横須賀」 とし、副題を「幕末から戦後まで」としました。項目によっては、幕末や戦後まで触れて いるからです。六百七十三回のうち、百二十九回分を割愛、五百四十四回分を収めました。 項目の掲載は、ほぼ新聞紙上での連載の順。ご登場願つた皆さんの役職、年齢などは、連 載当時のままです。
小引き出しが、からっぽになってしまいました。それにひきかえ、人との出会いの喜び に浸ることができました。行間から、感じ得て下されば幸いです。多くの出会いの折、心 をよぎった言葉をあげてみます。「子供叱かるな 来た道じゃ、年寄りいびるな 行く道じ ゃ」、「牛乳を飲む人よりも、牛乳を配達する人のほうが健康的である」、「業績が、人を称 える」、そして「三月の雨が、四月の風が、美しい五月をつくる」。
 連載から出版までの長い間、多くの方々の励ましと、お力添えをいただきました。横 山和夫市長からは、発刊を祝しての文も。皆さん、ありがとうございました。末尾ながら、 恩師で郷土史家でした高橋恭一先生の生前のお言葉を、記させて下さい。「石井君、とにか く、書き残さなくてはだめだ。過、不足は、必ず、のちの人が直してくれるから」。